【ARC-V視聴終了につき】覇王、悪魔、あるいは人
遊戯王ARC-Vを見まして
数か月単位で空くとかはもう普通になっているのでいいとして。
見出しの通り、初の遊戯王シリーズとして「ARC-V」を見ておりました。
色々ツイートしたりしたのですが、まあそれのまとめとして書き留めておこうかという記事です。
語る内容と前提
今回書く命題はズァークです。
どうでもいいけどズァークってキーボードで打ちにくいなお前。
色々思うところのあるキャラクターだったのでその話。
まずは前提の整理をしたいのですが、記憶に頼るとミスってるところありそうなので以下リンク。
ここベースに話すこととします。
私の感じた結論
つまるところなぜ私がこれを書いているか、なぜ彼を好きになったかという話です。
理由は、
「そう望まれて、その結果を否定された者だから」
です。
その話をいろいろとしていこうと思いますが、果たして文字数は伸びるのか足りないのか。
正直まとめてから書こうとしたのですが全くまとまらないので備忘録って言い訳でずらーっと書きます。ご容赦。
いろいろずらずら書きます。
まず、私は「観客」というものが好きではありません。
より細かく言うならば「自分の言葉に無責任な観客」というべきですが。
ARC-Vの中において言うのなら、やはりそれは「かつての世界」での観客。
リアルソリッドビジョンの開発、デュエルへの応用、それによって発生した事故。
そこに対して「もっとやれ」と声を上げた観客。
素直な感想として、人間の悪性って感じですよね。
元々のズァークは、モンスターと心を通わせてデュエルできるデュエリストでした。
それを歪めた一因は間違いなく観客の声であったのではと。
上にリンク貼ったpixiv百科事典ではそれに対して「メンタルの弱さ」という点を挙げていますが、まあそれは遊矢とかと比較するとそう見えなくもないんでしょうね。
でもたとえズァークのメンタルが弱い(遊矢比)としても、観客がかなり醜悪なのは間違いないと思うのです。
「もっと激しいデュエルを」とその声に応え続けてトップに立ったズァークに対して、そこでもなお「もっと」と声を上げるだけだった。
そこで牙を剝かれて、なおも人はこう言う。
「悪魔のデュエリスト」と。
ズァークは悪魔だったのでしょうか?という問いに対して、確かに行いは悪だったと言えるでしょう。
ではそれを生み出したのは?という問いには、どのように答えることができるでしょうか。
リアルソリッドビジョンがなければ。確かにあれがなければ現実への被害はありませんでした。
ズァークが観客の歓声に乗せられなければ。確かに彼がもっと強い精神性を持っていたら、全てを破壊するなどということはなかったのでしょう。
では、観客がもっと冷静であれば。
「自分は関係ないから」などと煽ることなく、最初の事故を危険視していれば。
ズァークは悔やみこそすれ、悪魔になることはなかったのではないか。
最強になることはなかったかもしれないけれど、全てを壊すためになどと言わず、オッドアイズと共に戦っていたのではないか。
世界が壊れることもなかったのではないか。
私はこの「観客」という要素が最も大きいものに見えてしまいます。
人の心の裏表、善悪の陰の側。
技術がなければ。それはいつか別のもので同じことになったのでは?
ズァークがもっと精神的に強ければ。個人に責任を押し付けるのもまた醜悪なのでは?
結局のところ、あの世界を壊す大本は「人の心」であったのではないかと私は思います。
そしてズァークは悪であり、また被害者でもあるのではないかと思い、それが故に私は彼を好きになってしまったわけでした。
なおARC-V全体での推しトップは赤馬零児です。
デュエルについての話
ズァークが過去どのようなデュエルをしていたかはよくわかりませんが、覇王龍と化した後について多少思うところはありました。
「ペンデュラム召喚」というシステムは、ズァークが覚醒した兆しであり、あれは本来ズァークが創始者である、とのことでしたね。
あの特徴として「ペンデュラムモンスターは破壊されたらEXデッキに行く」「ペンデュラム召喚時にはEXデッキの表側表示Pモンスターも召喚できる」というものがあります。
破壊されたとしても次ターンには帰ってくるというシステムであり、つまり「負け筋を潰す」という描き方ではないでしょうか。
ついでに覇王龍や覇王眷竜、覇王門の徹底した耐性も同じく、「負けないためのデュエル」という風に見え。
「勝ちたいのなら、勇気をもって前に出ろ」という教えと対照的であったのが印象的で、最初は彼もこういうスタイルではなかったのかな、などと思ってしまいました。
だって負けたら、彼は「もっと激しいデュエル」の敗者側に立つことになって、つまり「攻撃される側」になるわけですよね。
誰だってケガはしたくないよな。
類型のキャラクター(私調べ)について
なんとなく似てる気がしたキャラクターの話です。
まずウルトラマンネクサス千樹憐。
彼は「そう作られた(作られてしまった)」タイプであり、「望まれてそうなった」ズァークとは違いがありますが、似ていると言えなくも。
その生まれを呪うことなく生きた千樹憐、己をそうした一因である民衆に真の恐怖をと呪ったズァーク。
スタート地点が似ていても、それをどう受け取るかという点なのか、かたや光の戦士、かたや悪魔。
もう一人、アイドルタイムプリパラからガァララ・ス・リープ。
彼女も「そう作られた」です。
憐と違い、彼女は自分の境遇を良しとせず、自分に与えられた力でその境遇を変えようと抗いました。
その行いの善悪はともかく。
自分の行いの原因を許さなかった、という点や、その行いが空くと言われても仕方ない点は、ズァークと相似なのではないかと。
総評
結局あの「かつての世界」の人間たちは、自分とは関係ないからってステージの上のデュエリストをコロッセオの奴隷のように戦わせて、ケガも何も構わず煽るクソだったからその報いを受けたってだけじゃねえかなあ。
クソ民度のせいで世界が滅びかけた。悲しいね。